第1回 安直だけど純粋さが胸を打つのです
AIの最新ニュースを発信したい、AI活用法を届けたいという想いで開設した当サイトですが、そんなこと関係なく”素の自分”・”日常”について「発信したい」というより、「綴りたい」という想いでコラムを始めてみました。
誰かに届けたいというより、自分の”今”をこうして文章に残しておきたいなという漠然とした想いと、もともと文章を書くことが好きなので、しれっと始めてみたという感じです。有名人でもエッセイリストでもない、ただの社会人(一般人)なので承認欲求の欠片もない連載になります。
さて、このコラム名「忘れ去られた人情味を探して彷徨う旅人」
この由来をわざわざ記すのは野暮ですが、今の時代、それこそAIに聞けば、すぐに出てきてしまいます。
だから、野暮なのは百も承知で由来を綴ります。
これはMr.Childrenの『旅人』という曲の歌詞の一節です。
そして、(栄えある)第1回「安直だけど純粋さが胸を打つのです」は、この曲の冒頭の歌詞。
小学生の時からミスチルが好きで、その中でもこの「旅人」は特に好きで、最近妙に歌詞が胸に響くようになって、漠然としたこのコラムのモチーフにすごく合っているように感じて、、、というのが由来となります。
”安直だけど純粋さが胸を打つのです”という歌詞。
社会人になって、東京に来て、2年近くたった今、僕の胸を打つのです。
僕は田舎出身で、社会人を機に”大都会”東京に来ました。
未だに東京タワーやスカイツリーを見るとワクワクします。
渋谷のスクランブル交差点や原宿の竹下通りを歩くと心が高揚します。
東京の街を歩く人々はキラキラして見えます。
仕事も真面目に向き合って取り組むようにしています。
そんな僕はよくこんなことを言われます。
「君は東京で生きていくには”ピュア”すぎる」
「そんなんだとモテないし、やってけないよ」というおまけ付きで。
そんなことを言われ続けたので、20数年で築き上げた自分の人格とは違う人格、
いわゆる”クズ男”っぽく振舞おうとしましたが、やはり上手くいかず、というか自分が嫌いになりそうで辞めました。
社会人になり、上京して、色々知って経験して、人として変わったところも多いだろうし、
少しは東京に染まってしまったところもあると思います。
だけど、僕は「ピュアすぎる」ところに、きっとまだいます。
「もっと将来のことや仕事のこととかで悩めよ」と言われそうですが、
最近まで結構真剣に悩んでいました。
仕事の関係上、ずっと東京だろうし、「東京でやっていきたいし」「モテたいし」
だからといって、自分を裏切ってまで、変わるべきなのかなあと。
そんな誰にも相談できない悩みを抱えながら、先週 自宅近くのBarに飲みに行きました。(東京に染まった?)
その時にたまたま僕が座っているカウンター席の隣に座っていた年上のイケイケの男性(金メッシュ、センター分け)と雑談したのですが、やはり「ピュアだねー」と言われました。
すると、カウンター席の正面にいた女性やバーテンも会話の輪の中に入ってくれて、
やはり「ピュアだねー」と言われました。
だけど、その女性は「でも、それを貫いてほしい」と言ってくれました。
「このまま西麻布に行ってほしくないし、タバコも吸ってほしくないし、港区女子にも会わないでほしい」というおまけ付きで。
「だいたいの男はここで”クズ男”のほうに行ってしまうんだよね、君みたいな男性は貴重よ。」というおまけも付いて。
その女性が非常に綺麗だったのも影響していることは否めませんが、
その言葉にすごく救われました。”今”のままでいいのだと。「ピュアすぎる」ままでいいのだと。
(自分で書いていますが、ピュアであるという自覚もないし、ピュアを演じようとは全くしていません)
とか言って、いつしか”クズ男”になっているのかもしれません。
やはり東京を生きる大人に「ピュアすぎる人間」は異物だろうし、つまらない人間に映るんだと思います。(そりゃモテませんね)
だけど、人はみな、安直だけど純粋さが胸を打つのです。
と信じて、東京でこれからもやっていこうと思います。
旅人/Mr.Children (1996年)「マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-」

